40代になりました。

いわゆる「アラフォー」と呼ばれる年齢です。

今、私の日常には、親の介護があります。

2023年

父が重度の脳梗塞で倒れました。

要介護5・左空間半側無視・障害者1級をもっています。

それからは実家のある横浜に戻り、在宅介護をしながら暮らしています。


以前の私は、30代で仕事を辞めて山形県酒田市へ移住し、地域おこし協力隊を経験しました。

その間、月3万〜5万円ほどの小さな仕事をいくつか組み合わせながら、

都内と地方を行き来する暮らしをしていました。


住む場所も、働き方も、暮らしの形も、

とても流動的な状態にあります。

今思えば、介護する前から不思議な生活をしていたのかもしれませんね。

正直に言えば、これからどうしていくべきか、その答えはまだ出ていません。

いまの状況を記録として、ここに残しておこうと思います。

第1章|なぜ、いまこの場所で書いているのか

今まさに人生の節目にいるという感覚があります。

社会人の経験を積み、地方で暮らしてみたいと思い住み始めた矢先、

親の介護が始まりました。

次がはっきり見えているわけでもありません。


これまで通りには進めなくなったということ

父の介護が始まってから、生活の時間割は大きく変わりました。

一日の予定を自分の都合で組むことはできなくなり、

体力も気力も、思っていた以上に削られていく。

無理をして進もうとすると、

心のどこかが、ギギッと軋(きし)むような音を立てます。

だから、私は立ち止まらざるを得ませんでした。


この場所で書いているのは、

答えを出すためでも、何かを教えるためでもありません。

唯一ブログができる私にとって、

言葉を綴ることは、状況を整理する手段であり、

同時に、少しだけ息をつくための「逃げ場」でもあります。

正直、逃げたい(笑)

けれど、逃げるわけにはいかない。

頭の中だけで考えていると、

不安も迷いも、形を失ったまま、どんどん膨らんでしまう。

言葉にしてみると、

「いま自分がどこにいるのか」だけは、

その輪郭が見えてくる気がするのです。


ここは、正解を示すブログではありません。

前向きな物語を用意する場所でも、

成長の証明を並べる場所でもない。

ただ、

まだ「道の途中」だからこそ、書いています。

途中で立ち止まっている人が、

ふらりと寄って、安心して眺めていられる場所にしたい。


独身、40代、親の介護という”言い訳”で稼ぎも少ない(笑)

そんな一人の人間が、

しゅくしゅくと生きている姿。

答えがなくてもいい。

まとまっていなくてもいい。

ここでは、そういう状態のままでいていい。


もともとは酒田市のグルメから始まったこのブログ。

本当は、このブログを閉じようかと思ったこともありました。

それでも、こうした「ありのままの真実」

置いておくことこそが、

いま私がこの場所を続けている理由のひとつでもあります。


第2章|これまでの経験が、今につながっているという話

これまでの人生を振り返ると、

いくつかの出来事が”点”のように浮かび上がります。

たとえば、白斑症(はくはんしょう)と向き合ったこと。

地域に根ざして暮らそうともがいた時間。

エシカルという言葉に少しずつ引き寄せられていった感覚。

華やかな経歴として並べたいわけではありません。

そもそも

華になるほどのものがありませんからね(笑)

白斑症は、ある日突然、私の身体に現れました。

鏡に映る自分の姿が、昨日までとは違って見える。

それをすぐに受け入れられたわけでもなければ、

「気にしなければいい」

と簡単に割り切れたわけでもありません。

人に笑われながらも

逃げ場のない「そこにある現実」として、受け止めるしかありませんでした。

このときのことは、別の場所にも書き残しています。
白斑症と歩む隠さないという選択。私がエシカルで見つけた、ありのままの美しさ


地域での暮らしも、また同じ。

理想を持って飛び込んだはずなのに、

思い描いていた関係性や役割が、噛み合わない。

そんな瞬間が、何度もありました。

「こんなはずじゃなかった」

と唇を噛んだことは、一度や二度ではありません。


エシカルな暮らしに惹かれていったのも、

高い理想や思想が先にあったからではありません。

大量生産や効率の良さに、ふとした違和感を覚えたり、

自分の選択が誰かの無理の上に成り立っている気がしたり。

そんな小さな「引っかかり」が、

少しずつ積み重なっていった結果でした。


いま振り返って、ようやく見えてくることがあります。

自分の姿を受け入れようとしたことも、

エシカルな道を選んできたことも。

すべては、

現実の中で、どう自分を肯定するか

という、同じ問いの上にありました。


当時は、そんなふうに言語化できていたわけではありません。

ただ必死にその場をやり過ごしていた、それだけのこと。

それでも心のどこかで、

「このままでいいのか」

「それでも自分でいいのか」

と、問い続けていたように思います。


エシカルを学んでいくと、

どこかスピリチュアルな気配を感じることもありましたが、

私にとっては正しさを主張するための旗でもないし、

ただ、生きてきた結果として、後から名前がついたものに近い感覚です。

それぞれについては別の記事で書いていき、

これからも少しずつ、言葉を更新していくつもりです。


私が伝えたかったのは、

過去は決してバラバラな点ではなかったということ

上手くいかなかった経験も、

遠回りに見えた選択も、

全部ひっくるめて

あの時の私が、必死に生きていた証拠だったのだ

と、今は思えています。

そしてその問いについては、

今の「介護のある暮らし」の中でも、形を変えて、続いています。


第3章|いま大切にしている視点

今の暮らしの中で、

「こう考えれば楽になる」

と言い切れるような答えは、まだ見つかっていません。

そもそも楽とは何なのか?

介護も、働き方も、生き方も。

どれも途中のまま

揺れながら続いています。


正直に言えば、

在宅介護は本当に大変です。

もちろん、

「施設にお願いする」という選択肢もありますが、

本人の状況や金銭面など、いくつもの事情が複雑に絡み合います。

だから簡単には入所できないのです。

それでも、日々の中で何かを選択するとき、

以前より意識するようになった視点が、いくつかあります。


「正解」より「納得」

誰かの成功例や一般論が、正しく見えることもあります。

正解なのかもしれません。

しかし、それが自分の生活に、そのまま当てはまるとは限りません。

「世間的に見て正しいか」よりも

今の自分が、これなら引き受けられるかを考えるようになりました。

だからこそ、いまの在宅介護も、迷いながらではありますが、

「自分で納得して選んでいる」と感じられています。

「完璧」より「続けられる形」

理想通りにできない日があることを前提に、

それでも途切れずに済むやり方を選びます。

無理をして燃え尽きてしまうより、

少しくらいのんびりとでも、続いていくほうがいい。

「他人の基準」より「自分の感覚」

世間の「こうあるべき」という声は、思っている以上に大きく響きます。

その基準に自分を合わせようとするほど、

自分の疲れや違和感は、後回しになっていきました。

最近は、心に生じた小さな引っかかりを、無視しないようにしています。


私の書いたことは、人生の指針として完成されたものではありません


今日、上手くいったと思っても、

明日には、また揺らぐかもしれない(考えが変わる)

ただ”今の自分がどう感じているか”だけは、

置き去りにしないようにしたいのです。

この記事は私の手の中に残っている感覚を

言葉にして置いているだけ。

この先、また別の視点が大切になる日が来るかもしれません。

その時は、その変化ごと、またここで書き直せばいい。

そう思っています。


第4章|この場所で、書いていくこと

在宅介護のこと

介護は上手く回る日もあれば、

思うように進まず、立ちすくむ日もある。

その揺れを隠さず、ありのままに記録していきます。


地方移住

地域との距離感についても、同じです。

深く関われたと感じる喜びもあれば、

距離を置かざるを得なかった、苦い経験もある。

理想だけで語るのではなく、

近づいたり、離れたりする、

その「手触り」を思い出しながら書いていこうと思います。


自分の人生

40代での「選び直し」について。

これまで積み上げてきたものを

一度、置いてみたり、

もう一度、拾い直したり。

その試行錯誤が正しかったかどうかは、

ここでは決めないことにしています。


このブログにある記事は、揺れや迷いを含んだ「途中経過」の記録です。

人生に、間違いはあれど正解なんて、ないのだから。

代わりに残したいのは、

考えながら生きている痕跡のようなものでしょうか。

言葉にしきれなかった気配や、まだ整理できていない感情。

それらも含めて、途中のまま、更新され続ける場所でありたい。

誰かの人生を、勝手に決めたくないですし

ただ、同じように立ち止まっている人が、

少しだけ、安心して羽を休められる場所であり続けたい。


まとめ|横に並ぶための言葉

人生とは不思議で、ままならないからこそ、面白いものでもあります。

だから私は、書き続けてみようと思います。

迷い、立ち止まり、ひとつずつ言葉を選びながら。

介護があり、暮らしが揺れ、これまで選んできたものを見直しながら。

それでもなお、「途中のまま」で考え続けている人間が、ここにもいる。

それを知ることで、あなたが抱えているかもしれない、

辛さや孤独が、少しでも和らぐことがあればと思っています。


もしあなたが、同じように立ち止まっていたり、

言葉にできない違和感を抱えていたりするなら、

それは、決して特別なことではありません。

もしよければ、

「途中のまま、腰を下ろせる場所」として、

時々、覗きに来てください。

迎えに行くことはできませんが、

同じ場所で、一緒に過ごすことはできる気がしています。


このサイトでは、

介護や暮らし、住む場所との向き合い直しを通して、

人生を選び直している途中の記録を残しています。

人生を選び直す