大学を卒業して会社に就職し、キャリアを積み上げる。
30代くらいでしょうか。
適齢期には結婚して、安定を手に入れる。
そんな“世間で言う正解のルート”を私も疑うことなく歩んできました。
役職もつき収入も安定。
周囲から見れば、何ひとつ不自由のない人生に映っていたはずです。
20代後半を迎えた頃でしょうか。
ふとした瞬間、心の奥に広がるモヤモヤに気づきました。
いや、もしかするとずっと前から、気づかないふりをしていただけかもしれません。
「このままで、本当にいいのか?」
「自分は、誰の人生を生きているんだろう?」
がむしゃらに頑張ることには慣れていましたが、自分の本音や心地よさに耳を傾ける余裕は、いつの間にか置き去りになっていました。
そんなときに出会ったのが“自分らしく生きる”という視点。
エシカルは環境や社会に配慮する生き方であり、それと同時に、自分にもやさしくあることの大切さを教えてくれる考え方です。
“正しさ”ではなく“自分らしさ”を見つけたい。
そう思うようになった私のリアルな軌跡のひとつを、ここに正直な気持ちで綴っていきます。
今回は白斑症については触れていません。
もう一つの軌跡は、以下の記事にまとめています。
第1章|男性はこうあるべきに縛られていた日々
「就職して3年は我慢」
「家族を守るのが男の役目」
「仕事で結果(数字)を出してなんぼ」
THE昭和。
直接そう言われたわけではなくても、気づかぬうちにそれが当たり前として自分の中に根を張っていました。
若い頃の私は「評価されること」「期待に応えること」が当然のように染みついていて、自然と仕事を最優先に。
朝から晩まで働き、休日は昼過ぎまで寝る生活。
馬車馬のように働いていた気がします。
小売業に勤めていた当時は、品出しや接客に追われ、心も体も休まる間がありませんでした。
やがて昇進し上司としての自覚も芽生えます。
けれどそれは、プライベートの時間さえ効率や生産性で測る日々の始まりでもありました。
わずかな休日にもシフト調整や呼び出しが入り「ちゃんと休んだ記憶」がないほど。
休むことにすら罪悪感を抱いていたと思います。
働き続ければきっと報われる
そう信じて頑張ってきたけれど、
日々の業務や数字のプレッシャー、スタッフへの気遣い、そして理不尽なクレーム処理。
20代後半には、明らかに心がすり減っていました。
正直に言えば、本当に弱っていたんです。
疲弊しきって、ついに会社を休むことになりました。
やりがいがあるはずの仕事なのに、成果だけを追いかける自分がどこか空っぽに感じる。
男はこうあるべき。
この言葉に知らず知らず縛られていたと気づいたのは、“完全に疲れ果てた”あとだったのかもしれません。
“頑張る”しか知らなかった過去の自分へ
あの頃の自分にひとこと伝えられるなら
「もっと休んでよかったんだよ」
無理して踏ん張らなくても、誰も責めたりしない。
立ち止まったからこそ見える景色も、きっとあるから。
第2章|心のゆとりをくれた地方の暮らしとエシカルという気づき
転機が訪れたのは、仕事に復帰後のこと。
長期の休みを取って出かけた、地方への旅行がきっかけでした。
都会の喧騒を離れ、広がる田んぼや山の風景を目にしたとき
胸の奥に、ふっと風が通り抜けるような感覚がありました。
旅館の女将さんとお話をしたとき、
「無理しないで、心がゆるむことが大事なんだよ」と言われた、その一言。
まるで古い鎧をそっと脱がせてくれるようでした。
SNSに何を投稿するかよりも、その朝の空気の澄んだ感じを味わうほうが、よほど大切に思えたんです。
まさに「今、ここにいる自分」に立ち返るような感覚でした。
環境や社会にやさしくあること。
そして、自分自身にもやさしさを向けること。
当時は「エシカル」という言葉こそ知らなかったけれど、
きっとそれが、今で言う“エシカルな生き方”だったのだと思います。
それは、これまでずっと外の正解を基準に生きてきた私にとって、初めて自分の声を聞いてもいいと許された瞬間でもありました。

都会で消耗していた私の中に『生きる』ってことが、静かに戻ってきた気がします。
第3章|モノや肩書きを手放して見えてきた「私の軸」
かつての私にとって、自信は外側にありました。(外側にしかなかった)
年収やポジション、ブランド物の腕時計。
年を重ねるごとに友人も昇進していき、そんな話をする日々。
自分は大丈夫と思わせてくれる、いわば安心材料だったんです。
けれど、地方での暮らしやエシカルという価値観に触れてから、その“外側の鎧”に少しずつ違和感を覚えるようになりました。
たとえば今、私が大切にしているのは、手入れの行き届いた革の財布や、紙の質感にこだわった手帳です。
使い込むほど味わいが増し、長く寄り添えるモノにこそ、価値を感じるようになったのです。
何より働き方も変わりました。
「自分らしく生きたい」と本気で思えるようになったからです。
もちろん、すぐに会社を辞められるわけではありませんでした。
だからこそ、降格してから
副業で少しずつ結果を積み重ねながら、地に足のついた準備を進めていました。
そして移住の地域を探し、ある程度今後のことを決めたところで仕事を退職。
地域おこし協力隊を経て山形と東京の2拠点で活動する”デュアルワーカー”となりました。
父が倒れたことをキッカケに実家に戻り現在は在宅での介護をしながら、週4日ペースの個人事業主として働いています。
第4章|結婚してなくても私は幸せだと言える今
2025年、晴れてアラフォー世代に突入した私ですが、
「40代で独身」というステータスに、どこか後ろめたさを感じていました。
正直なところ、
結婚しなかった(できなかった)一番の理由は、自分に自信が持てなかったからです。
白斑症を発症してから外見により自信がもてなくなり、何事にも引っ込んでしまう。
そのように言い訳していた日々だったと思います。
周りの友人たちは次々に結婚し、家庭を持ち、子どもを育てている。
中には、20代で結婚し、すでに子どもが成人している人もいます。
もしかしたら職場でその“息子さん”と出会う日がくるかもしれません(笑)
それが普通だと思っていたからこそ、私はどこかで自分には何かが足りないと感じていたのかもしれません。
でも、今は違います(少しだけ)
田舎に暮らしていた頃、年齢も肩書きも関係なく、ただ“その場を一緒に楽しめる”仲間がいました。
そういう関係性に、どれだけ救われたか分かりません。
こうした価値観の変化は以前書いた記事「“完璧じゃなくていい”と感じた瞬間に|わたしのエシカルな暮らしと心のゆらぎ」の中でも触れていますが今の私の生き方の土台になっています。
最近では毎朝近所の公園で筋トレをして、ベンチに腰掛けてからお茶を一杯飲む。
そんな静かな朝の習慣が、日々の癒しになっています。
傍から見れば、不審者に見えるかもしれませんが(笑)
介護のある生活の中でも、そんなささやかな時間が「ああ、今、幸せだな」と感じさせてくれるようになりました。
誰かに幸せにしてもらうのではなく自分で自分を満たせる感覚
それが独身であることへの劣等感を、少しずつ手放させてくれたのだと思います。
もちろん、パートナーを持つ幸せもあります(募集はしています)
だけど、それが唯一の正解じゃない。
今の私は、そう心から言えるようになりました。
まとめ|エシカルな視点が私の自分らしさを思い出させてくれた
これまでの私は「正解」を追いかけることに必死でした。
大学の選択肢は限られていたけれど、安定した仕事に就き世間からの評価を得る。
それらを積み重ねれば、いつか満たされるはずだと信じていたのです。
でも、40代を迎えた今、白斑症や親の介護、地方移住、2拠点生活などを経験したことでようやく気づいた気がします。
本当に必要だったのは、
誰かの基準ではなく自分との対話だったということ
少し遠回りだったかもしれません。
けれど地方での暮らしや自然とのふれあいを通して、頑張るだけじゃない生き方があることを知りました。
そしてエシカルという視点が「自分にもやさしく生きる」という選択肢を教えてくれたのです。
「たくさん持っていること」や「結婚していること」が、幸せの条件ではない。
むしろ、心が静かに整っていくような毎日こそが、私にとっての豊かさでした。
完璧じゃなくていい。
誰かに認められなくても、自分の足で立ち、自分の感覚を信じる。
その自分軸を見つけられた今、
私はようやく、“わたしらしく”生きるエシカルライフの入り口に立てたように思います。
こうした心の変化は、以前書いた「白斑症と歩む『隠さない』という選択。僕がエシカルで見つけた、ありのままの『美しさ』」にもつながっています。
外見や肩書きに縛られず、自分の価値を自分で決める。
それが私のこれからの軸です。
最後まで見ていただきありがとうございました。