日々の暮らしの中で、買い物をしたり、時間の使い方を決めたりするとき。
「これが常識かな」
「みんなやってるし安心かも」
周りの基準を優先してしまうことがありました。
これが正解じゃなくてわたしはどうしたいのか
いつのまにか失敗しない選択を優先していた気がします。
だって、失敗は避けたいですからね(笑)
でもある日、小さな買い物をきっかけに“自分にとって心地いいかどうか”を軸に考えるようになりました。
自分の感覚で迷い気づき選び直す
その積み重ねの中で、エシカルな視点や「わたしらしさ」が、少しずつ芽生えていったのです。
今回は私が“自分のものさし”を見つけていった過程と、そこから得られたやさしい気づきを綴ってみたいと思います。
気づけば「なんとなく」選んでいた毎日
振り返ってみると、以前の私は“なんとなく”で物事を選ぶことが多かったように思います。
当時はSNSが普及し始めたときは雑誌やネットで「これが人気!」と紹介されていた店やアイテム。
「みんなが選んでるし、たぶん間違いではないのかな」
自分の気持ちよりも“無難さ”や“安心感”を優先していた気がします。
買ったあとでふと考えてしまうんです。
「本当に欲しかったものなのか」
「好きだったかな?」
何かを手に入れたはずなのに、心は満たされない。
そんな感覚が、少しずつ積み重なっていきました。
自分の価値観が曖昧なままだと、選んでも選んでもどこか落ち着かなくて、いつも誰かと比べてばかり。
本当はもっと自分の感覚に正直でいたかったのに、その声がかき消されていたことにも、気づけていなかったんです。

“なんとなく”の選択をやめたとき大切なことが見えてくるかもしれません
「それ本当に自分が選びたいこと?」という問い
エシカルという言葉に出会ったとき、
最初は正直、少し難しそうだなと感じました。
「誰が、どこで、どうやってつくったのか」
地方移住してからその背景に目を向けるという視点に、どこか惹かれていきました。
たとえば洋服を選ぶとき。
以前の僕は、見た目や価格だけで決めていましたが、自分に問いかけてみました。
「本当に自分が選びたいことなのか?」
少しずつ選び方が変わっていった気がします。
私の場合、山形県に移住したため、
とにかく”機能性”を重視し購入していました。
この理由についてはおいおいお伝えしますが
都内に戻ってからは
”流行っているからではなく、この色が落ち着くから”
”人気だからではなく作り手の想いに共感できたから”
周りの正解よりも、自分の中でしっくりくるかどうかを大切にすること。
それが私の選ぶ基準です。
失敗や迷いの中にこそ、わたしらしさ
“自分の感覚で選ぶ”ようになったとはいえ、最初から上手くいったわけではありません。
無添加やフェアトレード、プラスチックフリーにこだわってみた時期もありました。
でも正直、疲れましたね(笑)
「これはエシカルじゃないかも…」
と自分を責めたり、完璧にできないことが恥ずかしく感じたり。
気づけば、いつの間にか“新しいプレッシャー”を背負っていました。
ただでさえ介護で奮闘しているのに。
そのため、まず”続けられること”を優先してみました。
- たまに直売所へ寄ってみる
- マイボトルは無理のない範囲で使う
- 忙しいときは少し手を抜く
“自分にとって心地よいペース”を大切にするようになってから、少し楽になった気がします。
上手くできなかった日も、迷った日も、そのたびに選び直せる、やり直せる。
それが分かったとき、すごく安心できますもんね。
失敗や迷いの中にこそ“わたしらしさ”のヒントがあったのかもしれません。
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迷いながら進む道にこそ“あなたらしさ”があるのではないでしょうか。
自分のものさしを持ったら世界がちょっとやさしくなった気がする
「自分で選んだ」
そう思える瞬間が、少しずつ増えていきました。
自分の感覚で選ぶことは、最初は不安もあったけれど、何度か繰り返すうちに、小さな自信が積み重なっていったんです。
たとえば、人と違う選択をしたとき。
以前の私なら「変に思われないかな」と気にしていたけれど、今は「これが“わたしらしい”選択だから」と自然に思えるようになりました。
そうやって、自分の“ものさし”を信じられるようになったら、
不思議と周りの人の選択にもやさしくなれた気がします。
「それも素敵だね」と心から思えるようになったのは、自分の選び方に納得できるようになったからかもしれませんね。
他人の基準ではなく、自分の感覚に寄り添う
モノの考え方で次第で価値観が変わるということは、昔の私なら想像もしなかったと思います。
それくらい世の中に対しても無頓着だったのかもしれません。
今では納得して選んだものは、たとえ小さなことでも、
優しくて、やわらかな余韻を残してくれます。
まとめ|「迷っていい」「揺れていい」自分の感覚を信じる暮らしへ
「これが正解」
「こうあるべき」
そんな言葉に縛られて、息苦しさを感じていたあの頃の私。
でも今は、少しずつ思えるようになりました。
たとえ迷っても、揺れても、自分の感覚を信じていいんだって。
上手くできなかった日も、「間違えたかな」と感じた日も、
その経験のすべてが、私の“ものさし”を育ててくれたんだと思います。
白斑症から始まり地方移住、地域おこし協力隊、そして在宅介護。
エシカルな暮らしは正解を探す旅ではなくて、
「わたしはどうしたい?」
という問いに、ゆっくり向き合っていく過程なのかもしれません。
遠回りに見えても、自分の感覚を信じて選んだ道は、きっとどこかで誰かとつながっている。
そして何より、自分自身と深くつながっていける道です。
この日記が「わたしはどうしたい?」と考えはじめたあなたの、そっと背中を押す存在になれたら嬉しいです。