「もっとエシカルに暮らしてみたい」
そんな想いから始めたはずなのに、いつの間にか
「これもできてない」
「ちゃんとしなきゃ」
と自分を責めることが増えていった時期がありました。
少し介護でストレスを感じていたのかもしれません。
本来、エシカルはやさしい選択のはず。
そんなある日、
「完璧じゃなくていい」
そう、やっと心から思えたんです。
そこから少しずつ“わたしらしいエシカル”を取り戻していく日々が始まりました。
この記事では、その小さな気づきと心のゆらぎを通して見えてきた、私なりのやさしい暮らし方を綴っていきます。
プレッシャーに気づいたとき:正しさに縛られていた自分
エシカルな暮らしに憧れを抱き始めた頃、
私は毎日のようにSNSで検索し、Geminiに参考になる書籍を探してもらい、
さまざまな「素敵な暮らし」に触れていました。
エコな日用品やオーガニックの食材、ゼロウェイストな生活。
そこには確かに“こうであるべき”なエシカルライフがありました。
気づかないうちに「これをやらなきゃ」「ここまでできないと意味がない」という思い込みが、どんどん膨らんでいったのです。
冷静になって振り返ると完璧を目指すあまり、できなかったことばかりに目が向き、自分を責めるのが日常になっていました。
これでは、心が疲れてしまって逆効果ですよね。
本来は、やさしさや思いやりから始めたはずの選択が、いつの間にか「義務」や「正しさ」にすり替わっていた。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥にずっとあった窮屈さや焦りの正体が、ようやく見えた気がしました。

誰かの“正しさ”が自分の“苦しさ”になってしまうこともある。気づけたことがやさしい一歩ではないでしょうか。
それでもいいんじゃない?のひと言に救われて
大した理由ではありませんが昔、何気なくこぼした言葉に、友人がふっと思い出しました。
「無理せず続けるのが一番だよ」
そのひと言が、
ぎゅっとこわばっていた私の心の奥に、静かに届きました。
エシカルな選択って誰かと比べるものではなく、自分のペースで自分なりに向き合っていくもののはず。
あのときの友人の言葉は“正しさ”ではなく“寄り添い”でした。
そのやさしさが、僕にとってエシカルの原点を思い出させてくれたんです。
「できてる」「できてない」ではなく”今日、自分にやさしくできたか”
問いをそう変えてみたら、暮らしも心も少しずつ軽くなっていった気がします。
完璧じゃなくていい。わたしなりの“選び方”を見つけた
「毎日ちゃんとやらなきゃ」
そんな思い込みから少しずつ距離を置くうちに、私は自分なりの選び方を見つけはじめました。
ある日は、マイバッグを忘れてレジ袋をもらってしまった(ちなみに今でもよく忘れます)
別の日は、疲れていたから近くのドラッグストアでお惣菜を買ったこともありました。
親にはウダウダ言われましたが(笑)
前の私なら「できなかった自分」を責めていたかもしれません。
でも今は「今日はそういう日だったんだな」と、自分の状態を受け止めることを大切にしています。
“できなかったこと”よりも、“またやろうと思える気持ち”のほうがずっと大事。
ルールを守ることよりも
「これなら無理なくできそう」
「これを選んだ自分が好き」
と思えるかどうか。
そんな“わたしの気持ち”を選ぶ基準にするようになりました。
完璧じゃなくていい。
むしろその“ゆるさ”があるからこそ、エシカルな暮らしは続いている気がします。

エシカルって『こうしなきゃ』じゃなくて『これならできそう』でもいい。自分を大切にすることが、本当の意味での“やさしさ”かもしれません。
今の私が選んでいる、小さなエシカル
今の私は頑張りすぎない”小さなエシカル”を、自分の暮らしにそっと取り入れるようにしています。
たとえば、マイバッグを忘れてしまった日。
以前なら「しまった…」と罪悪感でいっぱいになっていましたが、
今は「次はまた持ってこよう」と軽く受け流せるようになりました。
地元の野菜をスーパーで見つけたときは「これ、買えてラッキー」とちょっと嬉しくなる。
それが、その日のエシカルな選択になることもあります。
介護で疲れている日は“お休み”することも立派な選択。
エシカルだからといって、自分をすり減らしてまで続ける必要はありません。
それよりも心に余裕があるときにできることを、気持ちよく続けていくほうが、私には合っていると感じています。
“毎日できること”ではなく“続けられること”を選ぶ
それが今の私にとって、心地いいエシカルのかたちです。
まとめ|ゆらいでもいい。そこから始まる「わたしらしさ」
「完璧にやらなきゃ」
「ちゃんとしていない自分はダメかもしれない」
そんな思い込みで、心がぎゅっと縮こまっていたあの頃。
“完璧じゃなくていい”という気づきは、私にとって心が整うきっかけになりました。
エシカルな暮らしは正しさを突き詰める道ではなく、揺れたり迷ったりしながらも、自分なりに進んでいけるものだと思っています。
もちろん、これが正解ではありません。
だからこそ、誰かの正解ではなく、
「今日はこれでいいかな」と自分に問いながら選ぶ一歩一歩をこれからも大切にしていきたいです。
ゆらいでも立ち止まっても大丈夫。
そのたびに、また自分にやさしくなれるチャンスがあります。
この記録が「わたしはどうしたい?」と迷っている誰かにとって、小さな背中を押す存在になれたらうれしいです。
あなたの暮らしにも、そっとやさしい余白が生まれますように。
最後まで見ていただきありがとうございました。