都市で暮らしていた頃。
欲しいものはすぐに手に入り、便利なモノに囲まれていたはずなのに、
なぜか心のどこかで「もっと何かが足りない」と感じていました。
その足りなさを埋めようと、新しい服や家電を買ったり、休日を予定で埋めるように過ごしたり…。
カメラやゲーム機なども買っていましたね。
けれど、そのたびにふっとむなしさが残ることもあったのです。
そんなある日、縁があって地方での暮らしを始めることに。
都市と地方を行き来する「二拠点生活」がスタートしてから、
持ち物の選び方、時間の感じ方、そして何より自分の内側にある“豊かさ”の価値観が、少しずつ、でも確実に変わっていきました。
今回は、そんな二拠点生活での“変化の記録”を通じて、
「エシカルってなんだろう?」
「本当の豊かさって、どういうことなんだろう?」
そんな問いを、改めて一緒に見つめ直していきたいと思います。
都市の暮らしで膨らんでいた「持ちすぎ」と「焦り」

都市での暮らしはとにかく便利で、欲しいと思えばすぐに手に入る環境でした。
家の近くには大型商業施設があり、横浜まで電車で30分。
何不自由のない生活です。
新商品やセール、流行のインテリア
「これがあれば快適になれる」
「これで素敵になれる」
そんな言葉に背中を押されるように、気づけば部屋はたくさんのモノで埋め尽くされていました。
けれど、モノが増えるほど、なぜか心は落ち着きませんでした。
周りの暮らしぶりやSNSでの投稿を見ては「ちゃんとしなきゃ」と焦ってしまう。
足りない何かを埋めるように買い足しても、その満足感は長く続きません。
お気に入りのはずの機材にさえ心が動かなくなっていたり、そんな20代だった気がします。
仕事を休職し、自分を見つめ直していたある日、ふと問いが浮かびました。
「本当にこれを欲しかったんだろうか?」
その瞬間、“モノを持つこと”と“満たされること”は必ずしも同じではないと、ようやく気づいたのです。

モノを持つことと満たされることは、必ずしもイコールじゃないんだよね。
地方の暮らしがくれた余白と静けさ
都市を離れて地方で過ごす時間が増えると、日々の風景も自分の内側も、少しずつ変わっていきました。
窓の外に広がるのは、ビルの灯りではなく、季節ごとに表情を変える山や畑。
そしてカメムシ。
近くの田んぼからは、梅雨時期にはカエルの大合唱、冬には白鳥の鳴き声が響きます。
時間はゆるやかに流れ、自然と「今ここにあるもの」に目を向けるようになりました。
便利さは減ったかもしれないけれど、
その分「何かを足さなくてもいい」という安心感があり、物欲も不思議と少しずつ落ち着いていったのです。
必要なものを必要な分だけ。
量より質。機能より気持ち。
そんなふうにモノを選ぶ感覚が、いつの間にか自分の中に根づいていました。
究極のところ、何もいらないのかもしれません。
実際、部屋にはタンスやテレビすら置かず、広い部屋にルンバだけがあった時期もありました(笑)
ひとつひとつを丁寧に使う暮らしは、生活を整えるだけでなく、心にも静かな“余白”をもたらしてくれます。
買わないことや持たないことが目的ではなく、「これがあればじゅうぶん」と思える心のあり方
それが地方の暮らしがくれた大きな贈り物でした。
二拠点生活が教えてくれた選ぶことの意味
都市と地方を行き来する二拠点生活が始まってから、持ち物について以前よりも意識するようになりました。
一つの場所にすべてを置いておけないため、必然的に何を持っていくかを選ばなければなりません。
最初は不便さを感じることもありましたが、やがてあると便利よりも“本当に必要かどうか”を基準に選ぶようになっていきました。
その結果、荷物はどんどんシンプルに。
服も道具も、持っていくものは限られているからこそ、選ぶときの感覚が研ぎ澄まされていくのを感じました。
そして不思議なことにモノが減ると、思考や気持ちまでもが軽くなっていったのです。
「これは私にとって大事なもの?」
「これがあることで、心地よくいられる?」
そんな問いを重ねるうちに選ぶという行為そのものが、自分の価値観を確認する内省の時間になっていきました。
やがて、
この「選ぶ」という姿勢は、モノだけでなく、仕事のしかたや人との距離感にまで広がっていきました。
それは二拠点生活だからこそ気づけた、大切な変化だったと思います。

選ぶって自分に問いかけることでもある。『わたしにとって本当に大切なものは何?』ってね。
モノとの距離感が変わったら、人とのつながりも変わった
地方での暮らしには、都市にはない“やりとりのあたたかさ”があります。
「畑で余ったから」
「実家からたくさん届いたから」
と、旬の野菜や手づくりの料理をいただくこともしばしば。
タケノコなど調理に手間がかかるものもありましたが、それも含めてありがたい時間でした。
また、誰かが不要になった器や家具を、別の誰かが自然に引き取る。
そんな日常の中で、モノは単なる“所有物”ではなく、人と人をつなぐ存在なのだと気づきました。
もらいもの、譲り合い、季節の贈り物
そこには必ず「もっけだの(ありがとう)」や「どうぞ」という小さな思いやりが添えられています。
これは田舎ならではの景色かもしれません。
都市にいた頃は「買う・使う・捨てる」が当たり前でしたが、今では「もらって、使って、次に渡す」ことがすっかり暮らしの一部になりました。
モノへの感覚が変わると、人とのつながり方も自然と変わっていくものです。
物の価値だけでなく、そこに込められた気持ちを感じられるようになると、暮らし全体がやさしく、あたたかく色づいていきました。
まとめ|持たないことより満たされていることが本当の豊かさ
モノを減らすことが流行になったり“ミニマリスト”という言葉がもてはやされる時代。
けれど、僕にとっての豊かさは「持たないこと」そのものではありませんでした。
二拠点生活を通じて気づいたのは“ちょうどいい”と思える暮らしこそが、何より自分を満たしてくれるということ。
たくさん持っていなくてもいい。
便利じゃなくてもいい。
焦らなくても、比べなくても大丈夫。
都市のスピード感も地方の静けさも、両方を体験してきたからこそ、
今の私は「選べる心の余裕」を持てるようになりました。
大切なのは持っている量ではなく”心に余白があるかどうか”
それが私にとってのエシカルな豊かさです。
モノの数では測れない、静かであたたかな満足感。
この感覚を、これからも大切にしていきたいと思います。
最後まで見ていただきありがとうございました。