あの日は、少しだけ疲れていた夕方。
介護がひと段落して買い物に出かけたとき、いつもの道を歩いていたはずなのに、駅前の花屋で足がふと止まってしまいました。
並んでいたのは、季節の花たち。
なぜでしょうか。
それを見た途端、自分の部屋に花を添えたくなりました。
今まではあり得ないこと(笑)
癒されたかったのかもしれません。
特別な理由なんて、何もなかったんです。
「たまには花も悪くないな」
ただ、それだけ。
とはいえ頻繁に花を変えるのは手間がかかるので、近くの100円ショップで似たような造花を購入。
部屋に飾ったその日から、空気がほんの少しだけやわらかくなったように感じました。
忙しさに追われがちな日常に、そっと“やさしい余韻”が広がったような感覚です。
今回はそんな“花を買って帰った日”に感じた、小さくてやさしい、私なりのエシカルな気づきを綴ってみたいと思います。

あれこれやったら自分の部屋じゃないみたくなりました(笑)
花がくれた小さな安らぎの瞬間
部屋に花があると、不思議と目がそこに向かいます。
私の部屋に入るたび花が見えると、心の中も明るくなるような気がしました。
花は何も語らないけれど、そこに“ある”だけで温かさを感じます。
その瞬間、自分が少しやわらかくなっていることに気づきました。
ただ置いてあるだけの花が、心の硬さをゆるめてくれる。
そんな感覚です。
花を通して日常の景色が変わった
花を飾ってから、家の中だけでなく、外を歩くときの視線も変わった気がします。
道端に咲く花や、小さな緑に自然と目がいくようになったのです。
「この前見た花と同じだ」
「季節が少しずつ進んでいる」
「誰が育ててくれたのだろう」
そうやって、何気ない景色に小さな変化を見つけることが、自分の中のちょっとした楽しみになっていきました。
花があるだけで、日常は少しずつ彩りを帯びていく。
そんな変化を、実感できるようになりました。

介護で散歩したときも花を探しています
花を通じて感じた持続できる私らしいエシカル
花を飾ることは、決して大げさな行動ではありません。
自分の心をやさしく整えてくれる大切な時間です。
私が生花ではなく造花を選んだのは、手入れやコストの負担を減らすため。(介護していますので)
“手抜き”ではなく、私にとっての続けられる選択でした。
日々の中で自分が心地よく続けられる方法を選ぶことも、立派な“私らしいエシカル”だと感じています。

エシカルな暮らしは完璧さや特別な努力だけでつくるものではありませんよね。
まとめ|花の余韻がくれた心の変化とエシカルのハードルを下げるということ
花を部屋に置くようになって、暮らしの中に小さな“間”が生まれました。
光に照らされた花を眺めると、深呼吸が自然にできたり、忙しい日でもふっと心がやわらぐ瞬間が増えたり。
その変化は、生活のスピードをほんの少しゆるめ、
「今、この瞬間を大切にしたい」
という気持ちを育ててくれました。
そしてエシカルな暮らしは頑張るものではなくてもいいということ。
完璧にやらなくても、無理のない方法で心地よさを積み重ねていけばいい。
花の余韻は、私にとって「自分を大切にする時間」と「エシカルのハードルを下げる視点」の両方をくれました。
だから今日も花を見ながら深呼吸をひとつ。
それが、私の続けられるエシカルのかたちです。

造花を使うことも長く大事にすることも立派なエシカルだと私は思います。