地域おこし協力隊という言葉を聞くと、正直なところ“特別な人がやること”のように感じていました。

地域活性化という大きな使命を背負った、少し堅い世界を想像していたかもしれません。

思っていたよりずっと身近で、あたたかい世界がそこにあったということ。

協力隊としての生活は、メディアが描くような華やかさとはほど遠く、小さな積み重ねの連続でした。

  • 畑仕事の合間にいただく郷土料理の素朴な味
  • 朝のあいさつに返ってくる屈託のない笑顔
  • 地元のイベントで世代を超えて笑い合う時間

その一つひとつの瞬間に、地域と生きる実感と心のゆとりがありました。

この記事では、酒田での地域おこし協力隊の経験を通して見つけた、地域とつながるエシカルな暮らしのヒントをお伝えします。

成功談だけでなく、戸惑いや小さな気づきも交えながら、エシカルな暮らしがいかに日常の中に溶け込み、誰でも“自分のペースで始められる”ものなのかを感じていただけるはずです。

本記事ではエシカル目線で見た記事であり、リアルな協力隊活動録は別記事にて更新します。

かすみ

エシカルな暮らしは、誰かのために頑張ることじゃなく、一緒に生きるという心地よい感覚ではないでしょうか。

きっかけは、都会で失いかけた「人とのつながり」と小さな想い

30代を迎え、都会での暮らしにすっかり慣れていたころ。

それでも、心のどこかでふと感じることがありました。

「自分は何のために、誰のために動いているんだろう?」

仕事は順調で、生活にも不自由はない。

けれど、日々の忙しさの中で、社会や人との“生きたつながり”を少しずつ見失っていたのです。

そんな時、地域おこし協力隊という仕組みを知り、

「人と関わりながら働く生き方があるのかもしれない」

そう思ったのが始まり。(これ以外にも様々なキッカケはありました)


酒田との出会い:やさしさと潮風に包まれて?

酒田市と言えば北前船として栄えたとされており、

人々の飾らないやさしさと、潮風が運ぶ穏やかな空気。

というイメージでしたが、

私が着任したところは酒田駅より車で約30分の山奥でした。

もしかして大変なところを選んでしまったのか(笑)

山の中ということもあり呼吸がゆっくりになるような感覚でした。

「自分の経験や得意なことを誰かの役に立てるかもしれない」

「経験を活かしたい」


心の奥で静かに灯ったのを覚えています。


不安もあったけれど小さな“やってみたい”が道をひらいた

もちろん、最初から最後まで順調だったわけではありません。

しょっぱなから課題の連続。

地域おこし協力隊ならではの大変さを感じました。

「よそ者の自分を受け入れてもらえるだろうか」

「自分にできることなんてあるのか」

そんな不安が心の中で何度も顔を出しました。

それでも「この地域と関わってみたい」という

小さな“やってみたい”の気持ちが、私を酒田へと一歩踏み出させてくれたのです。


暮らすように関わるから見えたもの

地域おこし協力隊としての理想(成功?)は

自身が定住しつつ地域にお金が入る仕組みづくりをすること

だと私は思っています。

恐らくどのサイトもそう書いてあるはずです。

間違いではありませんが、これが正解とも限りません

地域に成果を出すために入るのではなく、その日常に一緒に暮らすという意識に変えたとき、

自然とまちとの距離が近づいていきました。

まちづくりは特別な使命ではなく、暮らしの中に息づく“つながりの積み重ね”なのだと感じています。


地域の中に入って見えたエシカル:支え合いと循環の文化

協力隊として活動を始めた当初、私はどこか焦っていました。

周りは”何かをしてくれる”という謎の期待が大きすぎて

「目に見える成果を出さなきゃ」

そんな気持ちが強かったのです。

本来であれば、地域にお金が回る仕組みをつくりたい。

けれど、私の活動していた地域では、「お金を稼ぐこと」よりも「支え合うこと」こそが善いこととされていました。

お金を稼ぐこと=がめついこと

農作物を分け合うこと=助け合いの象徴

そんな価値観の中で暮らすうちに、私の中の正しさが少しずつほどけていきました。

もちろんお金を稼ぐことは悪ではないということを伝えつつ

「地域の人と同じペースで歩んでいこう」

「困っていることを、一緒に少しずつ解決していこう」


そう思えるようになったのは、人との温かい関わりを通して、“支え合う文化”が生む豊かさと安心感に気づいたからです。

かすみ

成果よりも循環を。地域では助け合いそのものがエシカルな経済なんです。


思いやりの循環|それが地域のエシカル

私が担当していたのは地元イベントの支援や地産地消の発信、伝統工芸や地域資源の調査などです。

食の循環

地元の直売所で生産者さんと交わす顔の見えるつながり。

新鮮な野菜をいただくたびに感じるのは、

「誰かの手が、この日々を支えている」という実感でした。

人の循環

困っている人を見かけたら、自然に助け合う。

おばあちゃんの「ありがとうね」というひとことに、

人と人が支え合う暮らしの温もりがにじんでいました。

完璧ではないけれど、誰かを想い、資源を大切にしながら暮らす姿にこそ、ありのままのエシカルが息づいているのだと思います。

共助の文化がくれる、心のゆとり

地域の循環や支え合いの文化は、派手ではないけれど、私たちに温もりと心のゆとりをもたらしてくれます。

人と関わり、手を取り合いながら「わたしらしく」働くうちに、私の中にも少しずつ、“まちと生きる穏やかなリズム”が生まれていきました。

かすみ

“エシカル”って特別な行動よりも思いやりの循環ではないでしょうか。


よそ者から仲間になるまで:小さな一歩を重ねるということ

地域おこし協力隊として活動を始めたころ、私はまだ「外から来た人」として見られていました。

地域の人たちにとって私のような存在は少し特別で、長い時間をかけて築かれたコミュニティに、突然入り込むようなもの。

最初は距離を感じるのも当然のことでした。

そこで諦めるのではなく、

どうすればこのまちの一員になれるのか

を考えるようになりました。


小さな積み重ねが“信頼”を育てる

大きな成果を焦って目指すよりも、私は日常の中の“ささやかな関わり”を大切にしました。

挨拶と雑談から始める

道ですれ違う人や農作業していた方に、自分から笑顔で「こんにちは」と声をかける。

立ち止まって、天気や季節の話をする(忙しくなさそうなとき)

たったそれだけのことが、少しずつ心の距離を近づけてくれました。

聴く姿勢を持つ

行事の手伝いでは、ただ意見を出すのではなく、まずは地元の方々の話想いを丁寧に聴いていました。

その想いを活かしブラッシュアップさせた案を出したり、

もともと地域に何かしらの縁がある方なら強引に行っても問題ないと思いますが、私みたいに周りが誰一人知らなければまず協力はしてくれません。

“聴く時間”が、信頼を生む最初の一歩になりました。

そうした小さな積み重ねが、地域とのつながりを静かに深めていったのです。


一緒に笑い同じ時間を過ごす中で

お祭りで一緒に汗を流して笑い合ったり、作業の合間に囲炉裏端でお茶会を楽しんだり。

そうした何気ない時間の中で、地域の人たちとの心の距離が自然に近づいていきました。

気づけば、

「また来たの?うれしいね」

と笑顔で声をかけてもらえるようになり、“よそ者”という意識はいつの間にか消えていた気がします。

その頃には、私自身も心のゆとりを持って地域と向き合えるようになっていたのです。


まちづくりに近道はない

まちとの関係づくりに、決まった正解も早道もありません。

地域の風習や考えそれぞれ違いますし。

焦らず自分のペースで信頼を育てていくこと

その時間こそが持続可能なまちづくりのかたちなのだと思います。

かすみ

まちは人のつながりでできている。焦らず小さな一歩をゆっくり育てていけば仲間になれます。


地域に住んで初めて分かった“暮らし”としてのまちづくり

地域おこし協力隊としての日々は単なる「仕事」ではなく、暮らしそのものだった気がします。

酒田で過ごした時間は、地域の人たちと同じ日常を共有し、

地元で採れた季節の食材を味わい、

雪解けや稲刈りといった自然の移ろいを肌で感じながら働く毎日。

自分もこのまちの生命線の一部

と感じることがありました。


未来のためより今を生きること

都会にいた頃の私は、

まちづくり=未来のための大きな取り組み

だと思っていました。

もちろんそれが正しいのかもしれません。

地域活性化されないといけませんしね。

実際に暮らしてみると、それはもっと身近で、もっと静かな営みでした。

今この瞬間の暮らしを丁寧に積み重ねること

結果的に地域を育み、持続可能なまちづくりへとつながっていくのだと感じたのです。


わたしらしい小さな積み重ねが、まちをあたためる

私たち一人ひとりの選択が、まちを少しずつ変えていきます。

そんな「わたしらしい小さな行動」の積み重ねが、まちの中に穏やかな循環を生み出します。

そしてこの丁寧な暮らしこそ、私たちが都会で失いかけていた心のゆとりを取り戻す、

もっともエシカルな生き方なのかもしれません。

かすみ

“まちづくり”って実は心のゆとりを大切に、暮らしを丁寧にすることと同じではないでしょうか。


協力隊を終えて感じた、わたしらしい関わり方

地域おこし協力隊の任期が終わった今でも、酒田とのつながりは続いています。

イベントで懐かしい顔に再会したり、SNSを通じて地元の友人たちの活動を応援したり。

距離は離れていても心の中ではいつも、地域コミュニティと寄り添っているような感覚があります。


がんばりすぎない関わり方が、いちばん続く

横浜と酒田を行き来する二拠点生活を続ける中で、私はあることに気づきました。

地域との関わり方には、色んな形があっていいということ

都市からの貢献も立派な関わり方

移住や現地参加だけが“地域貢献”ではありません。

都会の視点を活かして、地域の活動を紹介したり、地元の商品を購入して応援したり、そんな“遠くからの想い”も、まちを支える力になります。


ゆるい絆の価値

がんばりすぎて疲れてしまうよりも、「できる範囲で、心地よく」続けられる関係性こそが、長くつながる“ゆるい絆”を育てます。

忙しい現代の中でも、無理なく地域と関わり、心のゆとりを保ちながら生きるための、やさしい形なのだと思います。


これからの“まちと生きる”を自分のペースで

これからも私は、自分なりのペースで“まちと生きる”を続けていきたいと思っています。

離れていても、想いを寄せること。

時々訪れて、顔を合わせて笑い合うこと。

そんなゆるい絆の積み重ねが、きっと地域を支える大きな力になるはずです。

かすみ

離れていても想うこと、そして無理しないこと。これがまちと生きる持続可能な形ではないでしょうか。


地域とつながるは暮らしを分かち合うこと|未来の自分を支える絆

地域おこし協力隊として酒田で過ごした日々で私が強く感じたのは

まちづくりとは“誰かに何かをしてあげること”ではなく“お互いの喜びや苦労を分かち合うこと”だということ。

エシカルなまちづくりとは、誰かのために無理して頑張ることではなく、

お互いの存在を認め合いながら、支え合って生きていく姿勢そのものなのだと思います。


支え合いは暮らしの中のセーフティネット

この「支え合い」の文化は、私が在宅介護をしていることで、切実にその大切さを実感しました。

地域のゆるやかなつながりこそが、私たちが「もしも」の時に頼れる、心のセーフティネットになってくれる。

だからこそ、地域と関わることは、まちのためだけでなく、自分自身の未来を支えることでもあるのです。


あなたの一歩がまちと未来を育てる

都会でも地方でも、忙しい日常の中に“地域と関わる心地よい瞬間”はきっとあります。

近所の店で生産者の話を聞いたり、地域イベントに「お客さん」として参加したり。

そんな小さな行動こそが、まちの未来を少しずつあたため、将来のあなた自身をも支える絆を育てていくのです。

かすみ

がんばりすぎない、あなたらしいペースで絆を育んでいきましょう。