在宅介護は、愛する家族と過ごすかけがえのない時間である一方で、体力的にも精神的にも、想像を超える負担を伴います。
実家で介護を続ける私自身も、「もう無理かもしれない」と心が折れそうになった瞬間は数え切れません。
そんな状況で私を支えてくれたのは、”わたしらしいウェルビーイング”と”エシカルなケア”という二つの視点でした。
当初の私には分からなかった言葉でしたが(笑)
エシカルなケアとは環境への配慮だけでなく、”自分自身と大切な人、双方の尊厳を大切にする生き方”です。
この記事では、横浜での在宅介護の体験を通じて見つけた、無理に自分を犠牲にしない持続可能な工夫と、心と体を守るエシカルな暮らし方のヒントをご紹介します。
これから介護生活を始める方や介護で悩んでいる人、少しでもお役に立てていただければ幸いです。
在宅介護の始まり|私が自分を犠牲にしないと決めた日
在宅介護は家族の希望を叶える選択でした。
同時に介護者である自分自身の人生とどう折り合いをつけるかという、大きな課題に直面する瞬間でもありました。
在宅介護を選んだ背景と直面した現実
父の要介護認定後、施設入所も検討しました。
しかし、父の強い願いは”自宅で過ごしたい”というものでした。
もちろん自宅で過ごすというのは誰もが願うものかもしれません。
幸いにも脳梗塞の影響は身体に強く出ていたものの、認知機能への大きな影響はありませんでした。(多少は)
家族で何度も話し合いを重ねた結果、私たちは在宅介護という道を選びました。
実際に始めてみると、24時間体制で続く介護は想像以上に大変でした。

オムツ交換や移乗、食事介助…。
体力だけでなく、終わりの見えない不安やプレッシャーに、心までもが疲れ果てた気がします。
気づけば
「もう無理かもしれない」
「続けられない」
と、心の中で警鐘が鳴り始めていたのです。
「自分を犠牲にしない」と決意したターニングポイント
限界を感じる中で、私ははっきりと気づきました。
自分を犠牲にして心身をすり減らす介護は長く続かないということ
私たちが倒れてしまえば父の「自宅で過ごしたい」という希望も途絶えてしまいます。
この気づきが、介護を続けるうえでの大きなターニングポイントとなりました。
どうすれば、自分自身のウェルビーイングも守りながら、相手の尊厳も大切にできるか
その問いを立てたころから、私の介護は「義務」から”わたしらしいエシカルな暮らし方”へと変わり始めたのです。

この考えを母にも伝え少しづつでありますが母も”わたしらしいエシカルな暮らし方”へ意識させるようにしています。
介護に心のゆとりを取り戻す3つのセルフケア
「自分を犠牲にしない介護」を実践するためには、意識的に心のゆとりを確保し、ウェルビーイングを育むことが欠かせません。
私が在宅介護の中で実践し、心が軽くなったセルフケアのヒントを3つご紹介します。
- 小さな休息時間を意識的につくる
- 気持ちを話せる人や場を持つ勇気
- 完璧じゃなくていいと自分を許すこと
1.小さな休息時間を意識的につくる
まとまった休息が取れない日々でも、わずか数十分の”心の隙間”をつくるだけで、気持ちは大きくリセットされます。
- 近所の散歩・筋トレ
- 自宅でできるストレッチ・ヨガ・瞑想など
- つかの間のコーヒー・紅茶など
大切なのは”完璧に休むこと”ではなく、意識的に介護から離れる時間を持つことです。

介護をしているとどうしても何をするにも億劫になってしまいますが、手短なことをやるだけでも気持ちが変わります。
2.気持ちを話せる人や場を持つ勇気
在宅介護で陥りがちなのが孤独感ではないでしょうか。
私も当初、「横浜に住む友人にまで重い話はできない」と、一人で悩みを抱え込んでいました。
しかし、勇気を出して悩みを打ち明けたとき、心が軽くなるだけでなく、友人や地域の支援者の温かさに支えられていることを実感できました。
私の場合、母と二人で介護しているため共有できる部分もあるため、実際に1人で介護している方はもっと大変です。
- ケアマネジャーや訪問看護師に話を聞いてもらう
- 介護とは関係のない話をする時間を持つこと
誰かに頼り、話すことは、自分を大切にするエシカルな行動だと私は思います。
3.完璧じゃなくていいと自分を許すこと
「今日は排泄介助がうまくいかなかった」
「食事の準備が手抜きになってしまった」
できなかったことに意識が向くと、自己嫌悪に陥ってしまいます。
「今日はできなかったことがある。でも、それも仕方ない」
そうやって自分を受け入れるだけで、心はとても楽になり介護のプレッシャーから解放されました。
自分に厳しくしすぎず許しを与えること。
それが、持続可能な介護、
つまり”わたしらしいウェルビーイング”を保つための、最も大切なセルフケアです。
環境にも体にもやさしい。在宅介護で実践したエシカルケアの具体例
「エシカルなケア」とは、ご本人と自分を大切にするだけでなく、日々の暮らしの中で環境にも配慮すること。
私が横浜での在宅介護で実践した、心と体、そして環境にやさしい工夫をご紹介します。
- 環境に配慮した日用品
- 地元食材
環境に配慮した日用品でごみを減らす工夫
在宅介護では衛生面の理由から使い捨て製品が多くなり、ごみの量が一気に増えてしまいます。
- 洗えるシーツや布タオルの導入
⇒可能な範囲で繰り返し使えるアイテムを取り入れることで、ごみの量を意識的に減らす。 - 紙オムツは効率的に使う
紙オムツは欠かせませんが、私は「ごみを減らす」よりも、いかに効率よく利用するかに視点を変えました。
介護の現実的な負担を軽くしながら、環境への配慮も忘れない持続可能な選択だと感じています。
実際に排便時はトイレットペーパーからウエットティッシュ、紙シーツ、紙おむつ、ゴム手袋といったものがゴミになり本当に多いです。

減らすのも大切ですが、効率よく利用し私たちの負担を以下に減らすかの方が私の中では大切だと感じています。
地元食材で心と体を支える簡単な手料理
介護中の食事作りは大きな負担になりますが、栄養管理はご本人のQOL(生活の質)に直結します。
- 地元の直売所を活用
旬の野菜や地元産の食材を取り入れることで、手軽に栄養を確保でき、地域を支えるエシカルな消費にもつながりました。 - 安全性と栄養の工夫
父は飲み込みに不安があるため、骨のない魚を選ぶなど、安全性に配慮しました。
手作りの食事は、被介護者の栄養を支えるだけでなく、「しっかりケアできている」という安心感を私自身にも与えてくれます。
その安心感が、心を整える大切なエシカルケアにつながったのです。
介護の苦労から学んだ、私にとっての「本当の幸せ」とは?
在宅介護は多くの苦労を伴います。
その経験を通して、人生の豊かさや本当の幸せがどこにあるのかを深く知ることができました。
私が介護生活の中で見つけた3つの大切な気づきをお伝えします。
- 小さなありがとうに支えられた瞬間
- 介護の合間に感じた自分らしい時間の大切さ
- 家族とのつながりが深まった実感
1.小さな“ありがとう”に支えられた瞬間
私たち家族は、日頃から感謝の言葉をあまり口にしないタイプでした。
在宅介護が始まってから、不意に父や母から「ありがとう」と言われた瞬間、疲れが一気に和らぎ、心が満たされるのを感じた気がします。
その一言は頑張りが報われた証であり、介護を続けるための強いエネルギーとなりました。

感謝の言葉の力こそ、介護者にとって最大のウェルビーイングだと実感しています。
2.介護の合間に感じた「自分らしい時間」の大切さ
介護中心の生活になると「自分の時間はなくなった」と思いがちです。
実際に少なくなるのは事実ですが。
けれど、ほんの数分でも、自分らしさを取り戻す時間があるだけでも心は軽くなります。
例えば私なら
- アニメ鑑賞や短い読書
- 近所を歩くちょっとした散歩
こうした介護とは関係のない時間は、私にとっての心のよりどころ。
自分を大切にすることが相手への優しさにつながるエシカルな行動であり、介護を長く続けるための賢明な工夫だと気づいたのです。
3.家族とのつながりが深まった実感
介護は家族にとって最大の試練かもしれません。
しかし大変な時間を共に過ごし、本音で向き合うことが増えたことで、以前よりも家族の絆が格段に強くなったと感じています。
少しカッコいいことを言いますが、困難を支え合いながら乗り越える中で育まれた深いつながりと信頼感。
これこそが、介護が私たちにもたらしてくれたかけがえのない宝物ではないでしょうか。
まとめ|在宅介護は工夫次第で自分らしい幸せを見つけられる
在宅介護はやはりつらいことや大変なことが多いのが現実です。
この事実は否定できませんし、辛いものは辛いと正直に認めることも大切です。
だって辛いですもん(本音)
ですが心と体を守る工夫や、外部のサービスを賢く取り入れることで、この厳しい現実の中にも「わたしらしい幸せ」を見つけることができると私は思います。
エシカルなケアとは、自分を犠牲にして心身をすり減らすことではありません。
自分自身のウェルビーイングと、大切な人の尊厳を同時に守る生き方こそが、持続可能な介護の形です。
どうか、一人で抱え込まないでください。
もし「もうどうしようもない」と感じたら、地域の窓口や信頼できる人に声をかけましょう。
人に頼ることは、わがままではなく、賢明でエシカルな選択です。
介護は、あなた自身の人生を見つめ直す時間でもあります。

あなたにとっての“わたしらしい介護”は、どんな形でしょうか?