序章|介護が特別な出来事ではなくなった日常
介護はある日突然「始まった」という感覚ではありません。
もちろん親が倒れたという出来事は突然のこと。
気づけば生活の前提になっていました。
朝の予定を立てるときも、
外出の時間を決めるときも、
まず頭にあるのは介護の状況です。
毎日は調整の連続。
思い通りに進むことのほうが少ないです。
「元の生活に戻ることはありません」
医師からそのように言われたのは今でも覚えています。
以前のペース、以前の働き方、以前の自分。
そこへ戻るまでの“一時的な期間”として、
介護を捉えようとしていた気がします。
介護は人生のイベントではなく、
いまも続いている日常になりました。
続いている時間の中で、 何を感じ、何を考え直しているのか。
第1章|介護は頑張るものだと思っていた
介護が生活に入り込んできたとき、
私はそれを「頑張るもの」だと思っていました。
ちゃんとやらなければいけない。
間違えてはいけない。
正しい対応をしなければいけない。
そんな言葉が、頭の中で何度も繰り返されていました。
ネットで情報を探したり、ららぽーと横浜へ書籍を探したり、
「こうするのがいいらしい」
というやり方を、ひとつずつ集めていきました。
けれど、
集めれば集めるほど、
自分のやっていることに自信が持てなくなっていきました。
今日は、これで良かったのだろうか。
あの対応は、間違っていなかっただろうか。
もっと別のやり方があったのではないか。
次第に、
「自分は介護に向いていないのではないか」
そんなふうに思う時間も増えていきました。
思うようにできないことがあるたびに、
自分を責める理由を、後から後から見つけてしまう。
いま振り返ると、そんな状態だったように思います。
それは、真面目だったからだと思います(自称ですが)
投げ出したくなかったし、いい加減に向き合うつもりもありませんでした。
頑張ろうとすればするほど、
疲れが溜まっていく感覚があった気がします。
ここで書いているのは、「その考え方が間違っていた」という話ではありません。
当時の私にとっては
”そう考えるしかなかった”という事実です。
まだ、答えは見えていません。
第2章|思い通りにならない時間が価値観を揺らす
介護が日常になるにつれて、
これまで当たり前だと思っていた感覚が、
少しずつ通用しなくなっていきました。
予定を立てても、その通りに進みません。
計画を組んでも、本人の体調ひとつで簡単に崩れてしまいます。
効率よく動こうとするほど、
現実とのズレが、はっきりと目に見えるようになりました。
「今日は、ここまで進めよう」
「この時間に、これをやろう」
そう決めていても、介護の状況ひとつで、すべてが変わってしまいます。
自分ではコントロールできない現実が、
常に生活の真ん中にありました。
それまでの私は予定を立て、段取りを組み、
ある程度の見通しを持って動くことで、日常を回してきました。
けれど、そのやり方が、まったく通用しなくなりました。
時間は、思ったように使えない。
優先順位も、簡単に入れ替わる。
やりたいことより、やらなければならないことが、先に来る日が増えていきました。
そのうち
「どうすれば前と同じように戻れるか」
を考えること自体が、あまり意味を持たなくなっていきました。
代わりに浮かんできたのが、
それまで、あまり意識したことのなかった問い。
この時間の中で、自分は、どう生きていくのか。
何を大切にして、何を後回しにするのか。
はっきりした答えは、まだありません。
ただ、介護をきっかけに、
人生を今一度、考え直さざるを得ない感覚が、芽生え始めていたのは事実です。
いま実際に文章を書いていること自体が、
その延長線上にあるのだと思います。
第3章|介護の中で手放したもの、それは完璧であること
介護のある日常の中で、
気づかないうちに、いくつかのものを手放していました。
完璧な対応
常に最善の選択をすることを、自分に求めていました。
性格的にも、できるだけ完璧に動きたいと思っていたのだと思います。
けれど、その理想像は、
現実の中では続きませんでした。
上手く立ち回れない日が重なり、
あとから振り返って後悔することも増えていったからです。
周囲の期待
しっかりやっていると思われたい気持ちや、
迷っていることを見せたくない感覚。
40代独身で家で親の介護をしている。
他所から見たら、
働きもせず親の年金で生活しているように見えるかもしれません。
もう、なんとでもいい。
介護が続く中で、
そのすべてに応える余裕は、少しずつなくなっていきました。
期待に応えられない場面が増え、
それを説明することもしなくなっていました。
自立した生活
決まった時間に起き、計画通りに動き、
仕事も暮らしも整っている状態。
以前は、どこかでそれを基準にしていました。
今の生活は、介護を中心に回るものとなり、
その基準から大きく外れています。
以前のペースや働き方、
そこに結びついていた自分のイメージも、
少しずつ変わっていきました。
思うように進めない時間が増え、
できることの量も、質も、
これまでとは違ってきています。
ここに、喪失感を重ねたいわけではありません。
何かを失ったというよりも、変わったという事実があるだけ
介護がなければ、手放さずに済んだものもあったかもしれません。
第4章|介護が教えてくれたこと…ではなく
「介護と一緒に考えていること」
介護を通して、何かを学んだ、とはまだ言えません。
「気づきがあった」
「成長できた」
そうまとめてしまうには、まだ早く
時間は、いまも流れ続けています。
ただ、介護と一緒に考え続けていることはあります。
できない日があってもいいという感覚
誰かに向けた言葉というより、
どこかで、自分自身に言い聞かせている言葉でもあります。
体力が残っていない日もあれば、
気持ちが追いつかない日もあります。
そんな日は、本当に、何も前に進みません。
以前の私なら、
「怠けている」
「足りていない」
と感じていたかもしれません。
もちろん、
今でも、そう思ってしまう瞬間はあります。
それでも最近は、できない状態をそのまま受け止めることも、
ひとつの行為なのかもしれないと、考えるようになりました。
何かを改善しなくても、
すぐに解決策を出さなくても、
ただ、その状況に留まる。
逃げというよりも、
現実に目を向け続ける姿勢に近い気がしています。
全てをコントロールしようとすると、
自分のほうが、先に崩れてしまう。
実際に倒れそうになったこともありました(笑)
だから最近は、「どうすればうまくいくか」よりも、
「いま、何が起きているか」
を見るようにしています。
この考え方が、正しいとは言い切れません。
いまも、答えを探しています。
探し続けている、という方が近いかもしれません。
第5章|この先も答えは出ないが経験は生きていく
この先、状況は、きっと変わり続けると思います。
介護といえど、日々を過ごす中で、
父が少しずつ弱くなっていると感じる瞬間が増えてきました。
上手く飲み込みできなくなったり、排便も難しくなってきたり。
一歩間違えれば、重症化になります。
介護の形は変わるかもしれませんし、
生活のリズムも、働き方も、
今とは違っているかもしれません。
それに合わせて、考え方も、
少しずつ更新されていくのだと思います。
今感じていることが、
数年後には、まったく違って見える可能性もあります。
だから、ここまで書いてきた考えも、
「これが正しい」と固定するつもりはありません。
ひとつだけ、はっきりしていることがあります。
それでも生きていくということ
結論が出てから動くのではなく、
迷ったまま、考えながら、日々を続けていく。
諦めではありません。
かといって、
前向きな希望に満ちているわけでもない(笑)
大きな目標というより、
今日を、なんとかやり過ごす感覚に近いのだと思います。
40代になって、
人生は設計図どおりには進まないのだと、
身に染みて感じるようになりました。
<20代の頃に思い描いていた40代>
あのまま小売業で働き続け、
誰かと結婚して、
家庭を持ち、2人の子どもがいる。
両親の近くに住み、ときどき顔を出している
そんな姿でした。
実際はいま、そのどれとも違っています。
この先は、想定外が起きることを前提に、
どう折り合いをつけていくか。
その問いと一緒に、歩いていくことになるのだと思います。
この先も、その問いも抱えていくつもりです。
まとめ
私も迷いながら、調整しながら、
思い通りにならない時間を過ごしています。
何かを乗り越えたわけでも、
整理がついたわけでもありません。
もし、私と同じような時間の中にいるなら、
ここに「同じ人がいる!」と思ってもらえたら、
それで十分。
この先も、考えは変わります。
そのたびに、また書き直すかもしれません。
それぞれが、それぞれの歩幅で生きている。
そのことだけを、静かに共有できたらと思っています。
介護は大変。
だけど人生は面白い
この現実は、私の人生において、選択以前にそこにあった前提でした。
⇒人生を選び直すということ